雑貨と喫茶と宿題カフェ 木下商店


群馬県前橋市、両毛線が走る駒形駅。その北口から目と鼻の先の場所に、かつて鉄を磨く工場だったという古びた倉庫があります。無骨なトタンの質感と、どこか懐かしい街の空気が交差するその扉を開けると、そこには優しく温かい「木」と「人の体温」が漂う空間が広がっています。

「雑貨と喫茶と宿題カフェ 木下商店」

木下商店の店内風景

元々は埃と鉄粉に塗れていた廃工場を、わずか1ヶ月半という猛スピードでリノベーションし、息を吹き込みました。名物のスパイシーなジャークチキンが香り、ランチタイムにはお母様方の笑い声が響くこの場所。一見すると「おしゃれなリノベカフェ」ですが、オーナー夫婦が歩んできた紆余曲折の人生と、その裏にある理想と現実の葛藤には、『Re:Local』が追い求めるローカルビジネスの真理が隠されていました。

「東京の事業会社で働いていた最後の3年間は、駒形から新宿まで片道3時間かけて通勤していたんです。往復で6時間。ふと計算したら、1年のうち3ヶ月も電車の中で過ごしていることに気づいて、その無駄さに愕然としたのが、地元へ戻るきっかけのひとつでした。」

真剣な眼差しで語る木下夫婦

そう静かに語るオーナー。帰郷後、自然素材を扱う工務店に3年間勤務し、40歳を迎える年に独立を決意します。しかし、現在のお店となる物件との出会いは、まったくの偶然でした。「目当ての物件には家主が不在で話ができず、とぼとぼと歩いて帰ってきた時に、この古びた廃工場を見つけたんです。その瞬間、頭の中に東京の二子玉川にあるような、古い倉庫を改装した洗練されたカフェのイメージがパッと広がって。『ここはいける』と直感しました。
その足で、すぐ裏にお住まいの大家さんのところに直接行って『貸してください!』って直談判したんです。」当時、他にも串揚げ屋やコロッケ屋が内見に来ていたものの、「広すぎる」という理由で諦めていた格好のロケーション。駅前で駐車場もある好立地に火がついた夫婦は、会社を辞める覚悟を決め、仲間たちと共にリノベーションを開始します。鉄粉を洗い流し、真っ黒になりながらで進めたリノベーション。周囲の応援もあり、わずか1ヶ月半後には、無機質な廃工場が「わざわざ訪れたくなる温かな目的地」へと生まれ変わりました。

『木下商店』のドアを開けると、五感を刺激するスパイシーな香りが鼻腔をくすぐります。お店の絶対的な看板メニュー、「ジャークチキン」です。

店内厨房風景

オーナー自身がレゲエ好きで、東京・恵比寿のレゲエカフェで出会った味に感動し、趣味で何年も研究を重ねてきた至高の逸品。群馬でジャークチキンを出しているお店が少なかったことから「ブルーオーシャンだ」と確信して主力に据えました。しかし、この一見ワイルドな肉料理の裏には、夫婦の「食の安全」に対する極めて繊細でディープな思想が隠されています。「現在高校生になる息子が、今も卵アレルギーを持っているんです。何度も病院に運ばれ、命の危険を感じる中で、僕たちの食に対する意識はガラリと変わりました。だからこそ、店で出す食材の『トレーサビリティ(追跡可能性)』には人より多く興味をもっています。鶏肉は抗生物質不投与のもの、野菜は有機肥料や無農薬のものを厳選し、玉ねぎなどは自分たちで畑を借りて無農薬で育てています。」

お菓子の話をする奥様

さらに、奥様が手掛ける「豆腐マフィン」は、卵・小麦・乳製品を一切使用しないアレルギー対応のデザート。大地の恵みをそのまま体内に取り入れるジャマイカの「ラスタファリズム」や厳格なヴィーガン思想とも共鳴する一品です。「肉をガッツリ食べたい人も、アレルギーやヴィーガンの思想を持つ人も、同じテーブルを囲んで楽しく笑い合える場所でありたい」そのグラデーションのあるメニュー構成こそが、この店の優しさの本質なのです。

『木下商店』のもう一つのシンボルが、お店の2階スペースを利用した「宿題カフェ」という取り組みでした。共働きの夫婦が抱いていた「我が子を鍵っ子にさせている罪悪感」と、月極めの高い料金がかかる従来の学童保育への疑問からスタートしたこの試み。

宿題カフェについて語る奥さん

クラウドファンディングで資金を募り、2階へのアクセス(階段と通路)と落下防止の手すりを設け、近隣の共愛学園高校のボランティア部の学生たちを巻き込んで、放課後の小学生が安心して過ごせる「地域のサードプレイス(宿題カフェ)」を創り上げました。

しかし、店が7年目を迎えた今、オーナーはローカルビジネスが直面する「現実の厳しさ」をフラットに明かしてくれます。

「低学年から通ってくれていた児童が小学校を卒業し、店に帰ってこなくなり、宿題カフェは現在休止状態になっています。地理的に近隣の小学校が1学年1クラスと少なかったことも影響しました。さらに、オープンと同時にコロナ禍が始まり、当時は給付金やオープンの爆発力で乗り切れましたが、店を畳むようなピンチも経験しました。ただ、自分たちで理想な形を考えて着々とリノベーションし、周りの方達と乗り越えてきたこのお店はとても愛着のあるものになり、走り続けるために試行錯誤を繰り返している状況です。」「10年続く店が1割と言われる飲食業界で、続けることの大変さをリアルに痛感しています。」飲食店としては経験が不十分だった二人。自分たちで決めたキッチンの配置や水回りの配線は、いざ営業が始まると「あっちへ行き、こっちへ行き」と無駄な動きが多くなり、大人数への迅速な食事提供が難しいという「動線エラー」という影も生み出しました。

自家製梅シロップの作業風景

「もっと学生たちにはきて欲しいが、街で見かける派手なのぼり旗やタペストリーを店に掲げるのは、自分たちの世界観(美学)としてどうしても譲れないんです。」立ち上げから運用していたInstagramのアカウントは、フォロワー数は1万人を超えており、発信力に関しては広告費をかけずともできると実感しているところもありました。「ジレンマとして感じているのは1万人を超えてからフォロワーが伸びないこと。1万人もいるのにリーチが伸びない、コメントやいいねが少ない(と感じる)、反響が少ない、と思うことです。また、「インスタ頼り」の一手しかないもどかしさ、というのもありますが、その他のSNSを同時運用することに時間を避けられないジレンマも感じます。」こういったジレンマと泥臭く向き合い続けている事実こそが、木下商店という場所に、より深い人間らしさを与えているのです。

それでも、彼らの視線は決して下を向いていません。『木下商店』は今、次なる変革のフェーズへと向かっています。

笑いながらインタビューを受けている木下夫婦

小学生向けだった2階のスペースを、今後は高校生や大学生が試験勉強などで気軽に使える「ワンドリンク制のコワーキング・自習スペース」へと転換し、夕方のアイドルタイムに新たな賑わいを作る計画も思案しています。

さらに、オーナー自身が栽培した唐辛子で作る特製の「ホットソース」の製造・販売を本格化させ、プロダクトで生計を立てる「経営者側」への脱皮も目指しています。

「特徴がないと言われるこの駒形駅の周辺ですが、近隣の尖った個人商店や、共愛学園、山崎学園といった学校の先生たちを巻き込んで、何か面白い仕掛けをしていきたい。
ストリート全体を、まるで東京の南青山のみゆき通りのような名所にしたいんです。かつて南口にあった商店街のような温かさを北口に再現して、街と学校が共生する、防犯にも強いストリートを作るのが僕たちの大きな夢です。」

良くし続けることに天井はない。廃工場のトタンの壁の向こう側で、夫婦が育む「変幻自在な寺子屋」は、理想と現実を泥臭く往復しながら、駒形の街の未来を静かに、力強く塗り替えようとしています。

取材を終えて
オーナー夫妻のお話の中で最も胸を打たれたのは、「最初から完璧にしない、余白があるからこそ変化できる」という強さでした。動線が少し悪くても、宿題カフェが休止しても、それを「失敗」で終わらせず、次なる自習室やホットソースへの挑戦というプロセスに変えていく。


もしあなたが、おしゃれな空間の中に「リアルに生きる人間の血の通った思想」を感じたいなら、ぜひ両毛線に乗って駒形駅で降りてみてください。その廃工場のドアの向こうには、飾らないローカルの真実が、心地よいレゲエのビートと共に待っています。


木下夫妻
オーナー(夫)は前橋東高校から大学時代にアメリカへ、そして卒業後はカナダへ留学。帰国後は東京で英会話スクールのマーケティング等に携わる。その後Uターンし、自然素材の工務店で3年勤めたのち独立。

奥様は建築系専門学校を卒業後、輸入雑貨店の店長やイギリス留学を経験。オリンピック挑戦(競技者)という異色の経歴も持つ。2020年1月、夫婦それぞれのキャリアと「食と空間」へのこだわりを結集し、駒形駅北口に『木下商店』を創業。

雑貨と喫茶と宿題カフェ 木下商店
群馬県前橋市群馬県前橋市小屋原町(駒形駅北口・徒歩1分)
カフェ(ジャークチキン、アレルギー対応豆腐マフィン、コワーキングスペース)
営業日 1:00〜18:00(土曜定休)※日曜日は17時閉店
IG @kinoshoten