木下 有里
Niksen 深煎珈琲焙煎所
群馬県某所、かつて金属加工の機械音が響いていた工場跡地に、深煎り珈琲の香ばしい湯気が静かに立ち上る。
店名は「Niksen(ニクセン)深煎珈琲焙煎所」オランダ語で「何もしないことを愉しむ」を意味するこの場所には、タイムパフォーマンスが叫ばれる現代において、あえて「無為の時間」を全肯定しに来る大人たちが吸い寄せられるように訪れる。
金属加工工場の記憶と何もしないという問い
父親が長年汗を流してきた金属加工工場。オーナーも幼少期から機械に親しみ、父の背中を見てきた。しかし高齢になった父が廃業を決めた矢先、作業場から転落するという大きな事故が起きた。
“毎日休みなく働き詰めて、スケジュールをぎっしり詰め込んで、身体を壊してしまう。そういう生き方ってどうなんだろうと深く考えさせられたんです。この場所に来たときくらいは、あえて「何もしない時間」そのものを楽しんでほしいと思いました。
店名に選んだのは、オランダ語で「何もしない無為の時間を愉しむ」を意味する「Niksen(ニクセン)」同じ敷地内の学習塾でも、気になる光景があった。
送り迎えをする保護者さんが、真夏も真冬も車の中でスマホを見ながら待機している姿だった。
「美味しい珈琲を飲みながら気兼ねなく休める場所があればいいのに」父の事故から生まれた思想と、地域の人の居場所を作りたいという想いが重なり、カフェの構想が動き出した。

建築学生と汗を流したセルフリノベーション
Niksenの空間は、プロの施工業者にすべてを任せて作られたものではありません。オーナーの娘や息子、そして学習塾でアルバイトをしていた大学生など、「建築を学ぶ学生たち」の手によってセルフリノベーションされました。

“業者さんに頼めば綺麗に仕上がるけれど、任せっきりになって途中のプロセスに関われないのが寂しいなと思ったんです。
身近に建築を学ぶ学生たちがいたので、『みんなで知恵を出し合って、自分たちが心地いいと思える空間を少しずつ形にしていこう』と声をかけました。
木材がとにかく重くて、運び入れるだけでも一苦労でしたね(笑)。空間デザインを専攻している学生にアドバイスをもらいながら試行錯誤する時間そのものが、本当に楽しかったです。””
こだわったのは「他人の気配を感じながらも、視線が交差しない絶妙な距離感」壁で仕切るのではなく、観葉植物を絶妙な位置に配置することで、周りの目を気にせず没頭できる一人の居場所を作った。
天井はあえてむき出しのまま残し、かつて重量物を吊り上げていたオレンジ色のホイスト(巻き上げ機)も今なお動く状態で保存されている。無骨な工場の記憶と、木と植物の温もりが溶け合う唯一無二の空間だ。

時代に逆行する「深煎り」という美学
現代の珈琲シーンでは浅煎りスペシャルティがトレンドだが、Niksenが愚直に提供するのは漆黒の「深煎り珈琲」だ。
“浅煎りの珈琲って、すごく知的で洗練された近代的なイメージがありますよね。でも私にとっての珈琲の原点は、昔通っていた純喫茶でマスターが淹れてくれた、どこか懐かしくて深い苦味のある一杯なんです。”

深煎りを選んだ理由は、ノスタルジーだけではありません。「何もしない時間を過ごす(Niksen)」というコンセプトと、深煎り珈琲の性質が見事に合致していたからです。
“深煎りの珈琲は、淹れたての熱い状態から少しずつ冷めていくにつれて、味わいが豊かに変化していきます。時間をかけてゆっくりと口に運びながら、一日の疲れを癒やしたり自分自身の内面を振り返ったりする。
そのゆったりとした時の流れこそが、まさにNiksenそのものなんです。”


焙煎は数値やデータではなく「豆が爆ぜる音、煙の匂い、色の変化」を五感で感じる対話で行う。父の工場で培った機械への愛着から、焙煎機が故障しても自ら分解・修理して使い続ける。
日常の喧騒を手放す場所。地域へ開く「これからの余白」
オープン以来「Niksen」には日常の忙しさに疲れた大人たちが静かに足を運びます。”お客さんから言われて一番嬉しかったのは、『ここは誰にも教えたくない隠れ家ですね』という言葉でした。
本を読み耽って、最長で7時間ほど滞在された方もいらっしゃいます。

店内には静かな音楽を流しているので、もし少し声が大きくなってしまっても、空間の空気感でお客さん自身が気づいてトーンを落としてくださる。皆さんマナーを守って心地よい静寂を一緒に作ってくれています
“静けさを重んじる一方で、子ども連れの来店を拒むような排他的な場所ではありません。
“大人の方が日常の喧騒から離れる場所ではありますが、お子さんを連れてきちゃいけないわけではありません。
店内の一角には折り紙やお絵かき道具、絵本を置いたスペースを作っていて、お子さんはそちらで楽しんでいただき、親御さんには少しでも自分の時間を味わっていただけるようにしています。”
焙煎敷地内にはカフェだけでなく、オーナーが長年続けてきた整体マッサージや学習塾、さらには運動後のケアのための酸素ボックスや簡易ジムも併設されています。

動いてみれば、周りは驚くほど応援してくれる
高崎で開催される「群馬コーヒーフェス」の主催を務め、20代〜30代の若手ロースターや事業者とともに地域のカルチャーを牽引するオーナー。最後に、新しい挑戦や自分らしい生き方に悩む読者へ向けて、力強いメッセージをいただきました。
“私自身、気になることややってみたいと思ったことは、まず行動に移すタイプなんです。もちろん始める前は『自分にできるかな』と不安になりますし、年齢的な限界を感じることもあります。
でも、やってみないと形にはならないですし、動いてみれば周りの方々が驚くほど応援してくれます。やってみてダメだったら、それはそれでいい。何歳からでも、失敗を恐れずガンガン面白いことにチャレンジしてほしいですね”

「何もしない」という行為が、現代において最大の贅沢であることを、この空間は静かに体現していました。父の工場の記憶、建築学生たちとの汗、五感で焼く深煎り珈琲——すべてが「人が本当に休める場所」という一点に向かって収束していた取材でした。ローカルでこそ生まれる、豊かな「余白」の形がここにあります。
木下 有里
Niksen 深煎珈琲焙煎所 オーナー。群馬県出身。整体マッサージや学習塾を長年運営。父親の工場廃業・転落事故を機に「予定を詰め込みすぎる現代の生き方」に疑問を抱き、元金属加工工場を改装して「Niksen 深煎珈琲焙煎所」を開業。
自ら焙煎機を修理・整備しながら深煎りの味を追求する傍ら、「群馬コーヒーフェス」の主催を務めるなど地域の珈琲カルチャーを牽引している。
Niksen(ニクセン)深煎珈琲焙煎所
群馬県高崎市島野町35−6
自家焙煎深煎り珈琲・カフェ
営業時間はInstagramをご確認ください
IG @cafe_niksen
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